そう言ってノックもせずに無断で部屋に入ってきたのは掴みどころのない真っ白な男。
その白の瞳は長年付き合いがある青い青年にさえ恐怖を与える。何せこの男の瞳の色は、透き通るような白ではなく、何もかも包み隠してしまうかのような白だからだ。
「…ノックでもしたらどうだ」
先程まで鍵盤をなぞっていた指はピタリと止まり、同様にこの建物内に響いていたであろう音も静かに消えていく。静かに感情を言葉に乗せた青の男__ノゾムは、こちらへと向かってくる白__ユウトをその青の目の縁で睨みつけた。
「別に良くね。ピアノ弾いてるってわかってるし」
「お前はなんでそうデリカシーがないんだ」
「はは、まあまあ許してよ」
俺のお前の仲でしょ、そう言って整った顔で爽やかに笑ってくるものだからなんだか憎めない。世の中の人はそう思うだろう。だがノゾムは、その笑顔がとてもとても苦手だった。
「そんで、ピアノなんか弾けたっけ?」
「お前には関係ないだろう」
冷たくピシャリと言い放ったノゾムは鍵盤の蓋を閉めて立ち上がる。ユウトに向き直りもせずに部屋から出ようとするその背中にユウトはケチだなあ、と返す。寂しそうにも聞こえるが、何だか楽しそうにも聞こえる。ノゾムは足早に立ち去ってやろう。そう思っていたノゾムを見通すかのように、ユウトはそれを許しはしなかった。ノゾムの背に残酷な言葉を投げかける。
「それ、誰の為の曲だった?」
「……」
「色んな恋愛の曲を繋げて弾いていたみたいだけど…。ねえ、誰に捧げるつもりだったの?」
ユウトは続ける。
「お前がどう思ってるかなんて俺は知らないし、知りたくもないけど。でも一応言っておく」
ノゾムは動かない。否、動けないのだ。
それでもユウトは止まる気は無い。ノゾムに静かに近づき、囁くようにその耳に言葉を投げる。
まるでナイフのように鋭利な言葉に、ノゾムはただ為す術なく、ユウトの言葉を受け止めるしかないのだ。
その様子を見て、ユウトは少し笑った。残酷なその笑みさえも、ノゾムは見ることは出来ない。
現実とはいつもそういうものなのだと、訴えるかのようなユウトの瞳は、いつも通りの白色だ。何も見通せない、真っ白で不透明だ。それがいつだって怖い。ノゾムはそう思っている。
「ノゾム。俺らに何も求めない方がいい。…もちろん、あの子にもね」
じゃあね、と流れるようにドアを開けて部屋を去るユウトを、ノゾムは追いかけることも止めることも出来なかった。残酷に過ぎ去る時間を恨むことしか、彼には出来ないのだ。
「…行方知れず。可哀想だね。同情だけはしてあげるよ」
白色の瞳は、少しだけ、赤く光り輝いていた。