「明日からまじで本部に入隊すんのか〜…」
「いや、まだ仮っつーか…。体験入学?いやそれも違うか…。まあ触りみてえなもんだろ」
「いやそりゃそうだけど!でもなんか、こう、実感?というかさ、今まで目標にしてたのが目の前にあるとビビる、っつーか…」
「わからんでもないけどビビりすぎ」
「うるせえ!!」
日が傾いてから少し経った夕暮れの教室。ここにはもう私達3人しか残っていない。いつもよりも広く感じるこの場所によく響く友人の声を傍らにして、手に持つペンシルをくるりとひとつ回す。私は目下に広がる電子画面に書き込む内容を悶々と考えていた。
「つーかさ、『入隊するにあたって、その動機はなんですか?』とか、『意気込みをどうぞ!』とかさあ…。そんなのこのここに入る前にだって散々書いたっつーの!って感じしねえ?」
「どうせこういうのは兄貴が楽しそうって感じで適当にやってるだけだろうから書かなくてもいいと思うけどな」
「え、じゃあお前なんも書いてねえの?」
「いや?ヤアスさんに不良で目ぇつけられのはごめんだ」
「確かにそれは言えてる…ヤアスさん怒ると怖いらしいし…」
『誰かを救う為に』?『誰かの未来を守る為に』?
それとも『自分を強くしたいから』?
私のペンはずっと、『その動機はなんですか?』と『意気込みをどうぞ!』の設問のところで止まってしまっている。他はもう大体埋めてしまっていたのに、ここだけは私の持つ手はピタリと止まって動き出しそうもない。
そう、つまり私には世界を守るこの名誉ある部隊へ入る為の、明確な目標がないのだ。
世界的組織『ライナミア』。
異能で溢れた私達のこの世界で、異能力者を束ねつつその源を研究、そしてその異能力者に敵対するかのように出現した世界の敵、『バグ』を討伐し世界から人々を守ることを主に行っているこの大きな大きな組織は、様々なバグの事件への対策として、多数の場所で異能力者の育成をも行っている。
私達が通うのはこのライナミアが直接管轄している異能力者育成学校だ。この学校は座学もあるが、メインであるのは異能力の実技である。クラスで三人班となり、実技のテストで成績上位者になると今回の私達のように本部の部隊へ仮入隊ができるようになる。
「ヴィルクはなんでだったっけ?」
「世界を救うヒーローになるため!…って言うと子供っぽいかもだけど…。まあ、死んだ母ちゃんと約束したんだよな。この力で人の為に頑張るって」
ヴィルクは太陽みたいな人だと出会った時から思っていた。いつだって笑顔だし、いつだって挫けない。こんなに馬鹿みたいに明るい人なんて本当にいるんだ、って当時は思っていた。それをそのまま言葉にしたらびっくりした顔の後に「褒めてくれたんだよな!?」って爆笑された。そしてつい、私も笑った。家にいた時には冷えきっていた表情が緩む感覚がして、変な気分になったことをよく覚えている。
「ソリトはフレトさんの影響?」
「何かそう言われるとすげえ腹立つ…」
「それ、図星って言ってんだぜ」
「お前フッ飛ばすぞ」
ソリトは口は悪いけど、根は優しい。それは話していくうちに段々とわかっていって、お互いに気が許せるようになってからはソリトのその裏返しの優しさが心地よくなっていた。お兄さんを悪く言うつもりがなんだかんだ褒めていたり、本人を目の前に無下にできないところを見ると、月の光みたいに優しいな、と思った。本人にそれを話したら、「クムは抽象的な表現たまにするよなあ…?」と苦笑いされたけど、褒められてるなら悪くないと最終的には嬉しそうにしていた。やっぱりなんだかんだ、そういうところが人を呼ぶんだと思う。
「クムは?どう?書けた?」
「……ん?」
「ぼーっとしてたな、お前」
「…だって、思いつかないんだもの」
それに比べて私はなんだろう。
2人に比べて、私は……。
「どうしようもないくらい、どうでもいい理由ならあるけど」
――――とある会社の社長である父とお見合い結婚をした母のもとに生まれた私は、ウェリエンス家の一人娘として婿を取り、会社を継がねばならないと昔から言われていた過去がある。
異能力は運良く生まれた時から使えたようだった。けれど両親は、私がそれを自覚して使って見せたのを呆れて「最悪だ」とため息をついた。お前が使えたってしょうがないだろうと。野蛮な娘だな、とも言われて、小さかった私の心はズタズタに切り裂かれた。
両親からの圧が嫌で嫌で仕方なかった私は毎日のように泣いていた。自由にさせて、私のままでいさせて。そう言っても「お前の為」だと言われて突っぱねられるだけ。そんなだからいつしか諦めたかのように泣かなくなって、私は父の言いなりになってひたすらにお勉強やらお稽古やらをやらされて、ずっとこんな最悪な生活が続くのかと思ったら異能力の使い方さえもわからなくなった。
そんな中、私には1人だけ友達がいた。両親には言わないひみつのおともだち。当時はそれが何とも言い換えができないくらいに嬉しくて、その子と遊ぶことだけ考えていたら一日が過ぎていく。彼女は両親に全てを制圧されていた私の、狭い狭い世界の中の微かな希望であり、抵抗だった。
その子は「クムが望むならなんだって叶えてあげるよ」とよく言ってくれた。それがたまらなく嬉しくて嬉しくて。昼から遊んでは青く染っていた空が、綺麗な夕に染っていくのを嫌だ嫌だとよくごねて、空の色を変えてよ!と我儘を言ってはその子を困らせていた。
「できるもんならしてあげたいけどね」と言って眉を下げて笑い頭を撫でてくれるその子の手は私よりも少し大きくて、母とは違っていて優しくて大好きで。
「リア!リア!」
「なあに、あたしの天使ちゃん」
「リア!大好き!」
「ふふ、あたしもよクム」
そんな秘密の関係に終わりができたのは、それから私達がもう少し大きくなってから。リアはその身体にはまだ早いであろう、かなり大きめな白衣を着てズルズルと裾を引きずり、私は嫌で嫌で仕方ないお嬢様学校の制服を着て秘密の場所へと足を伸ばした。秘密の場所、と言ってもリアがたまたま発見したただの廃ビルの1つであったんだけれど。その屋上に並んだ私達はなんとも言えないちぐはぐ感で面白くて、寂しい。でもそれが私達らしいとも思って何も言わなかった。
「クム、お嬢様の制服似合うね。流石あたしの天使なだけあるわ」
「リアは知っているでしょう?私がそれ、嫌いなこと。意地悪言わないで」
「ごめんごめん」
何も悪びれてなさそうなリアは昔みたいに眉を下げて笑う。屋上に吹く風は地上よりも強くて、リアの着ている白衣は邪魔そうにバサバサと音を立てて煩い。風に乗ってきた薬品と油の匂いは、私がこれから知る由もないだろう何とも言えない刺激臭。それはまるで、今目の前に立っている人物が、私の知っているリアでは無いように思えて怖くて仕方なかった。昔のリアは、もっと優しい匂いがしたはずなのに。
リアであるはずの目の前の人物は口を開ける。眉を下げて、薄ら笑いを浮かべて、「クム」と私の名前を呼ぶ。その表情の意味は未だによく分からない。こっちに手を伸ばすその手に、私は自らの手を重ねる勇気がなかった。
「異能力の使い方、まだ覚えてる?」
「…どうでしょうね」
「覚えてなくてもいい。これからあたしが教えてあげる」
「っ、そんなの、無駄に決まってる」
「無駄じゃない。あんたに必要なこと」
「勝手に決めないで!!」
沈黙。お互いに何も言えないような空気感。
まだ空は綺麗な青のままなのに、あんな最悪な家になんて帰りたくないはずなのに、リアとの時間はずっと続いて欲しい、なんて思っていたはずなのに。私はこの時間が怖くて仕方なかった。リアが怖くて、この先を知るのが怖くて。思わず震える身体を抱きしめる。
リアが何を考えていたのか、そして私と会わない間何をしているのか、何で白衣を着て薬品と油の匂いを引っつけてきてるのか、何で私と一緒にいてくれるのか、馬鹿で両親に従順な私は何一つ知らない。
私は、リアについて何も知らない。
「クム、今からあたしの異能力をあんたにあげる」
「あんたはそのまま動かないで。あたしのことを信じて、目をつぶって自分の意思を保つことだけ考えなさい」
「…泣かないで。お願い、あんたの為だから」
そこからは一瞬だった。目が覚めた私はいつの間にかいつものように家のベッドで横たわっていて、部屋に来たなり渋い顔をした父に「明日からライナミア直轄の学校へ行きなさい」と言われた。夢かとも思ったけれど、それは紛れもない現実で、何が何だかわからないまま私はこの学校の制服に身を包んでいた。
「…クム?」
「…ううん、何でもないの。ごめん」
ここに入学した私はヴィルクとソリトと出会い、班を組み、明日から本部の部隊へと仮入隊をする。異能力の使い方もすっかり慣れた。私の異能力は超強化。任意のものを強化する地味な異能力だが、私は主に自分の身体能力を強化し、武器は鞭を使って攻撃を仕掛けている。全身が熱くなって、何でもできる感覚になって、まるで羽が生えたような気分になって。それが酷く気持ちよくて、嬉しくて仕方ない。昔の私に見せたらきっと驚くし、嬉しくて嬉しくて仕方なくなるだろう。…両親はきっと、あの日みたいに「最悪だ」とため息を吐くだろうけど。
でも何一つ後悔はなかった。私が私のままでいられるこの空間が、ヴィルクとソリトの隣が大好きだった。ずっとこのままでいいと思った。本部隊に入隊なんてどうでも良くて、この広い都市の中で、私達がここで笑いあえてさえいれば何でも良かった。過去のことなんて、どうでも良くなりそうなくらいに。
……ただ、一つだけ気掛かりがある。
実は、あれからリアには1回も会えていない。
私はリアのことを何も知らない。両親は何をしているのか、兄弟がいるのか、どこにいて何をしているのか、何の研究をしているのか、何で私にあの日異能力をくれると言ったのか、実際にあの時何をしたのか。リアのことを何も知らないまま今日まで過ごしてしまっていることを、心のどこかできっと私は酷く後悔をしている。何も知らないせいで、この高度に発展した都市で連絡を取ることさえも出来ないと気づいた時は、流石に自分のことを笑った。
答え合わせをしなくちゃいけないとわかってはいる。けれど、どうしたらいいのかもわからない。わからないままでいい訳ないのもわかっているのに、私は、この現状で満足しようとしかけている。
絶対にダメだ。どこかで私が叫んでいる。そんなの、2人の為にもならない。
「………………」
「おーいクムちゃん、戻っといでー」
「外も暗くなってきてんぞ、早く書いた方がいい」
オレンジ色の空はどんどん端の方から夜の色に染まっていっている。時間の経過は早い。誰に何を言われたって、何をされたって、時間だけは平等に私達に与えられている。残酷なようで、当たり前なこと。そんなことも、もう小さくない私はわかっている。
でも、リアが過去のことだって、今とはもう違うんだって、もう会えないかもしれないって思ったって、リアを思い出さずにはいられない。それくらい私にとって、大事で、大切で、切り取りたくない思い出。
『あんたが何を言われようと、あたしのせいにすればいい。大丈夫。あたしはいつでもあんたの味方だから』
『忘れたっていい。あんたが、クムが笑っていられるのならあたしはなんだっていいのよ』
リアは昔から私にこう言っていた。言い聞かせるかのようにことある事にこれを言って、私は訳も分からず頷いていた。昔はそれでよかったはずだった。
今思えば、酷い言葉だなと思う。何て自分勝手なんだろうと、笑いさえ込み上げてくる。『あたしのせいにしたらいい』?『忘れたっていい?』
そういう割には、自分の異能力なんて大層なものを私に押付けて自分勝手に去っていった癖に。
自分が今扱っている力が、元から持っている自分だけのものだなんて全く思っちゃいない。これは確実に、”混ざっている”。私じゃない何か、リアの力が混ざって、私の異能力を形成している。
これだけの置き土産をした癖に、忘れろだなんて馬鹿なことを言うな。そういう所が、嫌いなんだよ。だいすきでだいきらいなリア。私を大切な玩具のように扱って、そんなに楽しかったのかしら。全部自分で背負い込んで、それで辛くなかったのかしら。私のこと――、本当に大切なお友達とだけ、思っていたのかしら。
「決めた」
「え?」
「動機と意気込み。今決めた」
「いきなり!?空ばっか見てたと思ってたわ」
「空ばっかり見てたわ。だけど、わかったの」
「…何が?」
「私が今ここにいる理由」
私の手は勝手に動いていた。止まっていたペンはスラスラと画面をなぞり、一つの文章を紡いでいく。
次の欄もそのまま埋めていく。それを見ている2人は唖然としてただその動きを辿っていた。そのまま勢いで提出のボタンを押した私はおもむろに立ち上がり、ねえ、と2人の相棒へ声をかける。
「私の事、手伝ってくれない?」
『とある人にに会う為』
「てつだ、う???」
「…と言うと?」
「そう。2人の夢もちゃんと手伝うから。私の夢も、2人が手伝って欲しい」
『絶対にその人に会って、あの日の答え合わせをします』
「我儘になりたいの、私は私の夢の為に動きたい。どれだけ立派な志じゃなくても、2人みたいな夢じゃなかったとしても。私は私の為にライナミアに所属する」
「じゃないと、ここに来た意味が無い」
「だから、2人の夢は私の夢。そして、私の夢も2人の夢。……駄目かな」
少しの沈黙。何て答えられるのかわからないけれど。でも何となく、大丈夫な気がしている。この2人なら、私の言うことに頷いてくれる気がする。だから、ここまで言ったのだ。この感覚は、リアにはない。リアや両親と離れて得た自分自身によって出来た2人の仲間は、一緒に色々なことを頑張ってきた経験がある。そして、これからも色々あるのだろう。だけどこの3人でなら、きっと大丈夫だ。そう言い切れる自信がある。
2人の言葉をじっと待つ。お互いに顔を見合せた2人はその後にじっと私の顔を見た。そして少しの後に、ヴィルクはわはは!と笑って、ソリトは気が抜けたようにため息をつく。緊張しすぎ、そう言ったソリトはぽんと私の頭に手を乗せて、笑った。その2人の優しい笑顔に、知らずのうちに力んでしまっていた全身から思わず力が抜けるのを感じる。ここでようやく、信じているだなんて思いながらも、心のどこかでは断られることが怖いと思っていた自分がいたことにも気づいた。…安心した。きっと今の感覚は、これなんだろう。私はふう、と息を吐き出す。
「…お前って、本当にたまーに変な事言うよなあ」
「でもまあ、おれらって同じ班の仲間だし?その話、のってやるよ!」
「本部は2人体制らしいけどな」
「そうなっても、おれらはもうずっと仲間!これからのこの世界を守る為に一緒に戦う仲間だろ!ならいいじゃん!」
「…いいの?」
「…ま、別に断る理由もないし」
「ソリトは照れてるだけだよな?」
「るっっっっせぇヴィルク!!!」
それから私達は、学校から出た後も帰る道すがら、真っ暗な空の下で自分達の目標や、それにあたるまでの過去を沢山語り明かした。ヴィルクの両親が小さい頃に亡くなってしまい、愛犬であり相棒のリヒと二人きりで生きてきたこと。ソリトの何事にも優秀な兄と比べて劣っている自分自身がコンプレックスでしか無かったこと。…私の、リアとの過去。
思い出す度に辛くなりそうなことも、どれだけ自分で克服したと思っていたとしても、仲間となら軽くなる気がして、私達はずっとずっと語るのをやめなかった。今まで言えなかった苦しみやら、辛かったことやらを全部吐き出したあとは未来への希望を沢山語った。自分達の力はバグを消すだけじゃなくて、色んな人を救う為にあるはずだと。そしてその未来で笑いが絶えない世界にしようと誓って、その日は別れた。
帰りたくないな。そう思ったけれど、同時に明日はとてもいい気持ちで本部に迎えるだろうな、とも思うと自然にまた明日ね、と言って2人に手を振れた。2人も同じようにまた明日、と返してくれたからきっと同じ気持ちだろう。いい顔をしていた。2人とも。そしてそれはきっと、私自身も。今まで生きてきた中で、1番晴れやかな気持ちになっていたと思う。
「…こんなに泣いて笑ったのは、はじめてだったかも」
帰る前に思わず出た私の言葉に、2人も確かに!と言って笑っていた。
帰ってきた自室のベッドに横になって、私はきっと明日には腫れているだろう目を優しくなぞる。頬についた涙の跡だって、今は愛しくて仕方ない。これが、私の感情。もう意味ないと思っていた、私の意思だ。
おもむろに天井へ手を伸ばす。明日にはきっと、この手は沢山の命を救えるように今まで以上に鞭を握り続ける毎日になる。それはきっと、私の目標の為にも大事なこと。沢山沢山、色んな人を救ったら、きっと父も、母も、そしてリアも。私のことを認めて、褒めてくれるに違いないんだ。あの頃よりも大きくなった手は、あの日私の頭を撫でてくれたリアのように見える。…いや、それは気のせいかな。多分。そう自分で考えながら、少し笑えた。
ねえリア、今の私はこんなに大きくなったよ。貴女のせいで、貴女のおかげで、私はここまで自分でできるようになったよ。だから、もう仲直りをしよう。私ともう一度会って、遊んで欲しいよ。もう私一人で立てるから、貴女も私の為にじゃなくて、貴女の為に私と一緒にいて欲しい。これも我儘になってしまうのかな。だとしたらごめんね。こんなに我儘な私でも、一緒にいてくれるのかな。…いて欲しいな。
それから私はいつの間にか、そのまま深い深い眠りに落ちていったようだった。こんなにも明日が待ち遠しい夜ははじめてで、まるで遠足前の小さい子供のようで。ゴロゴロと色々考えながら横になっているうちに、眠くなって寝てしまっていたらしい。良家のいい歳をしたお嬢様がこんなことをしたら恥ずかしいかな、なんてもう思わない。私は私のままでいい。そう思えたその日の夜は、それはもうよく眠れた。
夢なんて見ないほど熟睡をして迎えた朝は、清々しくて仕方なかった。深く深く息を吸い込んで身体を伸ばす。今日のコンディションは、最高だ。太陽の光が差し込む窓を覗くと、そこには大好きな、青い青い大空が広がっていた。
長くて短い一日が始まる。そして私の、私達の長い長い物語も始まった。
「リア。貴女もきっと、この空を見ているんでしょうね」
返事はなくても、今はそれで満足だった。
――――――――――――――――――――――――
「リアちゃんやっぱここにいた」
「…フォンセ・プセマ」
「ほんと、空見るの好きだよね」
煩いな。そう言って突っぱねようとしても、このいつでも胡散臭い唯一の同期は離れていってはくれた試しは無い。からもう諦めて放っておいている。バサバサと風に吹かれて音を鳴らす白衣を相変わらずウザったいな、とポケットに手を突っ込んで抑える。ポケットには、何も入っていなかった。前にストックしといた飴が入ってると思ってたのにな。残念。そう肩を落としたらウザったい同期は嬉しそうに笑った。
「飴ちゃんいる?」
「何味?」
「黒糖」
「今はメロンの気分だからいらない」
「ああそう?残念」
封を開けて口に飴を放り込む同期は「ここ寒くない?」だなんてのたまうからなら出ていけよ、と返す。えー、せっかく来たのにとか言ってるのを耳に半分以下で入れながらあたしは夜が明けていく空を改めて見上げた。
昔は青から橙、そして黒く染っていくのを名残惜しく見ていたのに、今となっちゃ黒から明るく青に染められていく光景を見るのにも慣れてしまった。眠たい眼を擦っても取れない眠気は、これから仮眠をして取ろう。そう思って屋上を去ろうとした。
「クムちゃん、今日からライナミアに来るらしいよ」
「……へえ」
「良かったね。彼女、自分の為に生きることに成功したみたいだよ」
「そうね」
「反応薄くない?つまんないの」
同期は本当につまんなそうに口を尖らせて不満を述べる。そう言われたって仕方ない。あたしにはどうしようもできないのだから。祝福することも、戻れということさえ、今はできない。今のあたしは、ここで研究をすることしか、頭にないから。
「ボクも一応ね、今回の候補生と一緒のグループとして組むことになるらしいんだ。しかも、その組み分けも運が良くってね。だから彼女達の様子を見て、何かあったら報告してあげるね」
「いらない」
「何で?気にならない?リアちゃんはクムちゃんのこと大好きでしょ?」
ウザイ。黙ってくれないかな。
けどそのままそう伝えても何だか癪だなと思ったあたしは出かけた言葉をグッと押える。うん、あたし大人。偉いぞあたし。徹夜テンションの今は軽率に自分を褒め称えたりとか、そうでもしなきゃやってられないのだ。そうやって適当に自分に言い聞かせながらウザったい同期に言い返す。
「今は、あたしとクムは他人だから」
「……へえ」
「だからあんたは早く寝た方いい」
「あはは!それは言えてる。まあそれはキミもだけど」
「……そうね」
「太陽が眩しくて仕方ないよ。はーあ、めんどくさいなあ。このままずっと寝てたいのに」
お気楽なことね。そう言いながら何となく見上げた空は先程よりも青くなり始めている。早く寝たいな、なんて思っていながら雲の流れをぼーっと眺めていると、いつの間にか立ったままなのにこっくりこっくりと船を漕いでいた。流石に危ない。いくらなんでも、こんなとこで阿呆みたいに寝ていたり、運悪く落ちて死ぬのはごめんである。まだやることはいっぱいだと頭を抱えると、ようやくあたしは太陽に背を向けた。早く寝てやろう。そう、昼過ぎまで。もうこの空が夕に染まり始めるぐらいまで寝てやろうかな。そう思いながらようやく重いと有名である屋上のドアの取っ手に手を伸ばす。もう眠気が限界だ。正直、ここから仮眠室のベッドに行くことさえ億劫ではあるけれど、この胡散臭い同期と話さなくてもいいのなら、やぶさかでは無いなと思う。
「リアちゃん、異能力は捨てたって言ってたっけ」
「……まだ用があるの?」
そんなあたしの前に立ちはだかる邪魔な奴。ウザさの極みでも目指してんのかな。もう優勝でいいからどいてくれない?と言ってもヤダーーーーと言われそうなので黙って横を通ろうとする。そうすると移動する壁。邪魔。マジで死ぬほどに邪魔。そんな妖怪邪魔邪魔壁男に見せつけるかのように盛大なため息をついてやると、めっちゃくちゃに面白そうに笑われた。腹を抱えて大声で笑う壁野郎の声はそれはもう眠たい頭に響く。やめてくれ、本当に血管が切れて死んでしまう。
「質問に答えてよ。これ答えたらここで寝ていいから」
「めんどくさい」
「運んであげるよ?勿論お姫様抱っこで」
「死んでも嫌」
「えー?ボクこれでもモテるのにな…って、ちょ、」
気づいた時にはじゅ、と壁が焼けた音がした。焦げ臭い。壁からは黒いモヤ。先程よりももっと青く染まっている空を目掛けて細く長く伸びている。後で怒られるだろうか。多分怒られるだろうな。多分めちゃくちゃに怒られてゲンコツとかも食らうかもな。暴力は反対だ。でもまあ、今はもういいや。
眠過ぎて適当に考えを丸めて端に捨てたあたしは、まだ熱が引かない手で屋上のドアを開けた。
「じゃ、また仕事で」
最後に見たアイツのモテモテとご自慢のお顔は、傑作と言えるぐらい驚きを隠せてなくて、ざまあと言ったところだなと思う。睡眠の邪魔の罪は重い。次は絶対にその命はないだろう。多分。知らんけど。
クムと再会したら、このことを真っ先に話してあげよう。あいつの話によると、最悪なことにクムとあいつは知り合いになっていると言う。まあだからせめてもの抵抗ということで、あいつのかっこ悪い話を沢山してやろう。これで1つ目。これまでのも含めるともっと沢山。これからもっと増えるだろう。あいつがクムを誑かした日には絶対にあいつを殺す自信しかないので、こうやって印象操作をしておくのは大事だと思う。後であいつにも念押しをしておこう。絶対に近づくなと。これは最重要事項だ。
そしてもし、クムとあたしが無事に再会できたその時は、きっとあの頃のように沢山笑い合えるはずだ。絶対にそうだ。あいつの話以外にも、お互いの身にあった色んなことを話そう。そしてまた一緒に笑い合うんだ。また一緒に遊んで、朝から晩まで遊んで帰りたくないと言い合うんだ。あたしは今、その為に頑張っているのだから。そう考えると荒んだ気持ちが少しだけ和らぐ気がしてくる。マジでムカつくあいつもたまには役に立つもんだな。
クムのことを思うと、あたしのもう死にきっていると思っていた表情筋は、口の端を少しだけ上げてくれた。たん、たん、たんと階段を降りていく先にあるのは、きっと最高な睡眠と、最高な未来だ。まあ、最悪で最低な研究やあいつも待ってはいるけれど。それは今の所、端に適当に置いておくものだ。
とりあえず無事に着いた仮眠室の柔らかくもないベッドにダイブをしたあたしは急速に夢の世界へと落ちていった。起きたらきっとボヤ騒ぎの処理だけど、まあ、あの子の為ならたまにはこういう日も悪くは無いよね。多分。