願い事

※撤退済み企画での内容ですが、ログとして残しています

megacoさん宅 普神 岳さんお借りしています

 

7月7日。日本で言えば、七夕。

笹の葉に各々の願い事を書いた短冊を持ち寄って吊るし、願い事が叶うようにとお願いをする日。
あとはそう、織姫と彦星が出会える唯一の日。
行事ごとに興味関心がないごく普通の一般人だった俺は、七夕に関する知識はこれぐらいしかない。連想して浮かび上がる天の川だって、日本では梅雨真っ只中である為に全然見れた試しがないし。
まあそもそも、学校ぐらいでしかあんまり外も出なかったしな。わざわざ空を見るために上を見ることだって少なかった。
俺の視界は、常に下の方向に向いていた。スマホの画面、開いたテキスト、自分の足元。誰かの視線から逃れたくて仕方なくて、俺はまず視線を向けることをやめたのだった。

……まあいいんだ。昔の話は。
いつもいつも考え事をすると無駄に昔のことを思い出して良くない。今の俺と前の俺はもう違う。俺はこの広大な世界、エンダルシアで生きている1人の人間、柊(ひいらぎ)である。
もう使うことは無いだろう胸元にある金属製の鍵を少し触って、その事実を再確認した。あの扉に俺が手を伸ばすことは、もう無い。
ふるふると余計な思考に走る頭を振ってパシンと自身の頬を叩く。目が覚める音。俺は止めていた歩みを再開する。

「岳」

ん?」

あと数日後。このエンダルシアでも7月7日を迎える。そんな何気ない日の、主役。
向こうにいても違和感がなさそうな黒髪に、優しげな蜂蜜色の瞳を併せ持つ俺と同じ渡り人。
俺が欲しくて仕方なかった向こうの世界での成功を自分の手で切り開いた凄い人。
………俺の、恋人。

同じ世界にいたのに、日本にいたらきっと交わらなかったであろうその瞳は、俺だけを映していて。
それに何とも言えない幸福を覚える。頬が少しだけ熱くなる。鼓動の音が、速くなる。全部全部、この人のせい。
黒からあんまり代わり映えのない暗い青となってしまった自分の瞳だって、この人ばかり映して困っているというのに。身体の全てが、この人を好きだと語っていて、なんだかなあ。まるで俺じゃないみたい。

「どうしたの、柊(しゅう)」

俺のことを柊(しゅう)と呼ぶ人は少ない。いや、エンダルシアだと二人だけ。首を傾げて俺の名前を呼ぶこの人と、今もどこかで生きている血の繋がった弟のみ。

この人が名前を呼ぶと、俺は皇 柊であることを思い出させてくれる。暗くて辛い過去ばかりの俺を、そっと包み込んで許してくれて。俺はもうそれだけで満たされてしまって。
いつだっていつだって、この人に救われている。だから、俺もこの人の為に何かをしてあげたい。そう思う。少しずつでも、恩返しができたなら。

「もう少しであんたの誕生日でしょ。プレゼント、何がいい?」

こっちに来てからすぐは祝えなかった誕生日。自分のでさえも意識してなかった。生きることに必死すぎて、向こうで生まれた日を忘れて、柊(ひいらぎ)として新たに生きていたから。
だけどもう、自信を持ってどちらの名前でも生きていける。俺は皇 柊だし柊でもある。その事実を肯定してくれたのは、他でもないこの人__普神 岳なのだから。

俺は、七夕の彦星でも織姫でも、笹の葉でもないし短冊でもない。願いを叶えてくれるかもしれないあの星々でも神でもない。
けれど、大切な恋人の願い事を叶えてあげる。それぐらいはしてもいいじゃないか。
自信を持ててきた今日この頃。俺の言葉を聞いてそういえば、などと呟いている岳が出した答えは、なんとも簡単な願い事で。

「柊の休みを一日。デートしよう」

なんでこんなにも、俺を喜ばせるのが上手いのか。これを他の人にもやってたのかとなると少しだけ。いやかなり嫉妬する。俺もこの人を嫉妬させるだけのものがあればとか、無駄に考えるけれど。
でもそうじゃなくて。

じゃあ、デートプランは俺が決めるから。楽しみにしてて」

俺がこれから岳にしてあげられることだけを考えよう。この人の隣はずっと俺だけのものにしたいし、俺の隣だって、岳だけにあげるのだから。

デートプランだなんて慣れないことを考えるのも、悪くはない。自室に戻り岳の好みを思い返しながら、こっちに来てすぐに貰った付近の地図を広げる。また更新されてるかな。まずは地図を買うことからかな。
この時は未だ更新されていない診療所の名前が、柊の文字がついていることを願って。そして、ついでと言わんばかりにではあるけれど、岳とずっと一緒にいられますようにと願って、診療所の扉に「7月7日、8日はお休み」と書いた紙をでかでかと張りつけ、外へと踏み出していくのであった。

2025年6月2日